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仮面ライダー剣 劇場版「ミッシング・エース」感想とTV版総括


2005/1/25

 
仮面ライダー剣 劇場版「ミッシング・エース」


 結局映画館には見にいけなかった劇場版をレンタルにて視聴。出来がよければDVDで買おうかなーなんて思っていたけど……うーん。要らない。

 というのも、先日めでたく終了したTV版の最終回がどうにも納得がいかなくて4年後にその答えがあるのでは!?と慌てて借りに走ったそんな俺の熱情に、この劇場版はなんら決着をつけてくれるものではなかった訳でして。

 まず舞台設定は「すべてのアンデッドを封印してから4年後」ということになっているが、そもそもTV版とは全くのパラレルなのである。
 ここでは剣崎が始を封印することでバトルファイトを終えているし、根本的にそのルールも独自のものが採用されているようだ。
 暫定的に始が最後のアンデッドとなった段階で、アルビノジョーカーの存在がある以上ダークローチの大発生は起こっていないと考えられるが、ということは剣崎が始を封印しなければならなかった理由は他にあるということだ。また始の封印によってアルビノジョーカーが勝者として認定されているらしいが、「ジョーカー」が勝ち残ったにも関わらず「全生命の死滅」は発動していないと見受けられる。その他にも、勝者が確定した後なのにアンデッド解放が可能であるとか、TVとは異なる設定がちらほら。

 それらはパラレルであると納得してしまえばこの際大した問題ではないのだが、そうやって強引に4年後の世界を設定した割には、結局何がしたかったのか?ってのが今ひとつよく分からない。

 剣崎らがライダーを引退しているところへ突然のアンデッド復活、カテゴリーAも解放され事実上の変身不能、そして後輩ライダーの存在と対立。この流れからすれば必然的に劇中の最初の山場は「ブレイドの復帰」になって然るべきだろう。強敵カテゴリーA相手に生身の剣崎たちがどう立ち回り、いかなる手段を使って再び仮面ライダーとして復活するのか。まさにそれが見所であるはずなのだが。

 最初から解放されていないのか後から再封印したのか定かでないが、とにかく橘のカテゴリーAは健在で、そのためにフツーに戦えるギャレンの手によってかなりあっさりスパイダーアンデッドが倒され、これといった悶着も無く睦月はレンゲルとして復帰する。また同じく剣崎のカテゴリーAも復帰したレンゲルによって比較的簡単に封印され、本人はさしたる手も出さないままカードを入手してしまうのである。初登場であるスペードのカテゴリーA・ビートルアンデッドも、あれほど強かったスパイダーアンデッドも、哀しいぐらいに弱いのだ。これでは何のために「変身不能」な設定があるのか分からない。

 カード入手にドラマがないなら、復帰することに意味があるのか?というとこれまたそうでもない。少なくとも剣崎がカテゴリーAを手にした段階においては後輩ライダーたちの活躍に翳りはなく、積極的に彼が戦線復帰する理由もない。後輩に協力しようと思ったらロートルは引っ込んでろと拒否されてしまったのでヘソを曲げて「じゃあ俺たちは俺たちでやるよ!」と対抗意識を燃やしただけに過ぎないのである。この男は4年経っても何にも成長していない。
 つまりは、例えばグレイブたちがアンデッドに苦戦を強いられ、ここにブレイドがいてくれれば!と望まれて華麗に登場、なんて燃え展開はドコにもないのだ。なんたって剣崎が再びブレイドに変身するのは、いがみ合うレンゲルとランスの仲裁に入るためだったりするんだから。

 ならば、と。
 ここまで確執を持たせたからには、必然的に新旧ライダーが互いに認め合って共に強敵へ立ち向かう流れが待っているのか、と期待するところなのだが。
 結局彼らは最後まで和解することも共闘することも無い。いがみあったまま、新ライダーのうち2人はいきなり殺されてしまうのだ。その犯人こそ残る1人、グレイブ。志村の正体はアルビノジョーカーだったのである。舞台挨拶でも言及されていたように、橘はまたアンデッドに騙されてしまったのだ。こっちの男も4年前から成長していない。
 それにしても、橘の言う通り確かにAのない状態で剣崎や睦月の変身は不可能なのだが、それにしたって単純に考えれば連絡くらいしとくのが筋なのではないか? 解放されたアンデッドがいつ暴れ出すかも分からないのだから、事情通でもあり、カードさえ戻れば即戦力として期待できる二人に話を通しておくというのはごく自然な流れなはずだ。戦力不足を補うために新しい組織を編成することが急務だったのだとしても、それならなおさら協力を仰ぐべき局面だろう。これではまるでアルビノジョーカーに騙されるために行動していたみたいではないか。
 ついでに言うと、例えその後画面に登場しなくても、所長が生きてたってことにしとけばまだ組織の存在にも説得力があるのに。後ろ盾もなくあれだけのものを橘だけで作ったってのは無理を感じるぞ。
 しかしなぜこうも救いの無い展開になってしまったかな。何も新ライダーたちだって死ななくても。せめて最終決戦ぐらい一緒に臨んだっていいはずなのに。

 一方で、成長した天音を軸にした展開についてもなんだか煮え切らない印象が。
 剣崎に封印されたことによって結果的に始は失踪したような状態になり、それを「自分を置いて勝手にいなくなった」と誤解する天音。思春期を迎えてその体験が「誰も自分を見ていない」的な発想に切り替わった彼女は、苛立ちと不安からハンパにグレて万引きに手を染めてしまったりする。
 このテの考え方は、不用意に多感な中学生ぐらいの時期にありがちなものと思えるが、しかし現に「誰も彼女を見ていない」のは強ち間違ってないので一概に自意識過剰だと斬り捨てられない部分もある。
 始が自らジョーカーであることを否定し、人間としてあり続けようとしたその理由のすべては天音にある。それを知っている剣崎が、いざジョーカーを封印するにあたって「せめて天音ちゃんは始に代わって俺が見守ろう」という発想があったっておかしくはない。しかし実際の剣崎の4年間は自分の生活の維持に手一杯で、彼女を見守るどころか虎太郎から年齢を聞いて「もう14歳?」なんて呑気なことを言い出す始末。おまけに自分が天音から始を奪ったという事実が彼女の大きな傷になっていたなんてことも、4年経ったいま初めて知ったらしい。これでどの面下げて「心配してる」なんて言えたものだろうか。追い討ちをかけるように虎太郎すら天音の写真と言われて4年前のものしか持っていないという有様。もっとも現実には姪の写真なんて持って無くても普通なんだから、敢えてそんな描写を入れてまでこの4年間が空白だったことを強調しなくてもいいのに。
 真に描かれるべきは天音の「始離れ」ではなかったかな。「天音を見守っている始の存在」というより「身近にいて彼女を案じている人たち」のことを理解することで更生して欲しかったところだ。そして夢の中でもいいから始との邂逅を果たし、心配する始に対して「もう始さんがいなくても大丈夫」と言える彼女になっていてこそ、キャストを変えてまで4年を付加した意味があるのではなかろうか。

 終始そんな風で、いろいろ美味しい場面がありそうなのになんとなく全部スルーして終わっている感は否めない。クライマックスの14戦だって、巨大な敵と戦うために「俺たちが囮になるから剣崎はアルビノジョーカーを!」なんて作戦でもあればともかく、3人ワーッと飛びかかってワーッと蹴散らされるという頭の悪さだし。
 終いにはロイヤルストレートフラッシュがここでも無敵の強さを発揮して、その一撃であっさり14を両断してしまうのだ。いいのか。いいのかこれで。せっかくCGとか素晴らしく綺麗に作ってあるのになぁ……。

 ただ、ある意味ではTV最終回とリンクして欲しかった面もある。それはやはり始の封印で物語が終了している点。TVの最終回と比べるなら、俺は断然その最終回に落ち着いて欲しかったのだ。



 仮面ライダー剣 TV版 総括


 ・全般

 ブレイドは面白かった。
 ……ただその面白さは「毎回ツッコミどころ満載」という面白さであって、そこに残念ながら特撮ヒーローの影はなかった。少なくとも俺はそう思う。

 ストーリーと特撮部分が乖離していることには去年555でも触れているが、今年もそれはまったく同じ。戦闘に対して、本当に玩具宣伝程度の認識でしかないとすれば、それはあまりにも馬鹿にした話だ。しかしそうとしか見えないのも事実である。
 例えば「53枚のカードがあってゲットするたびに新しい能力を得る」なんてのはなかなか面白いのに、火を吐く敵には水をかけ、空飛ぶ敵には飛行して戦うとか、単純に考えても出来そうなことをやらない。徹底的にやらない。
 アンデッドはストーリーと関係のない部分で現われていきなり人を襲う。
 ライダーはあまり脈絡のない能力をこれと言った感動も無く使いこなして、淡々と封印する。
 威勢がいいのは掛け声だけだ。

 大きなストーリーの流れに沿わないのは分かる。しかし沿わないなりに盛り上げるってことは決して不可能じゃないと思うのだが。


 ・劇場版との比較で見る最終回

 剣崎が自分を犠牲にしてまで始と天音の生活を守ろうとしたことについて、彼が優しいから、で片付けるにはその決断はあまりにも重過ぎる。

 剣崎が両親の死にコンプレックスを持っていて、人間を救いたいと願う気持ちが強いのは分かる。だが普段の言動や行動原理を見る限りでは、人間の暗黒面をも含めてそのすべてを愛しているようには到底見えない。そこに、自分がアンデッド化してまで始を救おうという態度とのアンバランスさを感じてしまう。

 映画においても、剣崎が自分の命と引き換えに天音を助けようとするシーンがある。剣崎にとっての天音の存在という意味で考えるなら、正直言って死んでまで助けたいほどの関係か?という疑問が残るところだ。
 では何故剣崎はそうも簡単に命を投げ出してしまうのか。どうもそれは彼の博愛精神というよりは、始から「怖いのか」と言われたことに意地を張っているだけなのでないか、という気がする。

 そういう側面から見ると、彼はジョーカーを封印するしかないという周囲の意見に意地を張って、後先考えず封印しない方法を選んだだけなのではないか。 アンデッドになるという事の重大さにひょっとして気付いていないのではないだろうか。

 不老不死と言えば聞こえはいいが、その先に待つものは永遠の孤独だ。
 始のもとを去りどこか新天地で再び生活を始めた時、剣崎も10年とそこに居られないことに気付くだろう。それだけならまだしも、待ち受けるのは迫害かもしれない。
 アンデッドであることを隠して人間の中で生きることを共存しているとは言わない。彼は人生を賭して守り抜いた人間からそんな仕打ち受けるのだ。気分はガイアー!に違いない。

 これは剣崎に限った話ではない。むしろ問題は始の方。
 天音の始に対する感情は、恋心というよりは身近に現われた年上の異性に対する憧れと、急に居なくなった父親的存在への欲求であることは想像に難くない。彼女は始という存在の不自然さを受け入れているのではなく、まだ見えていないだけなのだ。

 彼女の4年後の姿を見る上では、多分始の存在如何に関わらず、ああいう時期がくるだろうと思わせるものがある。死なず、おそらく老いもせず、傷つけば緑の血を流す不可思議な男を、世界が広がり、周囲の同年代の男が気になり出したりもする天音が、果たしていつまで始さん始さんと言ってくれることだろうか。疎ましがられてるうちはまだいい。下手をすれば、それははっきりとした拒絶として現われるかもしれない。
「ねぇお母さん、始さんっていつまでウチにいるの?」なんて、そんな話を始が耳にする日が来るのではないのか。

 アンデッドの戦う本能が、並外れたものでないことは実際作中でも描かれている。ひとたび発動すれば、始が天音のことすら襲いかねなかったほど強いものだ。ましてや、彼が自我を保とうとする最大の動機である天音から拒絶を受けたとしたら、もうそれを抑える枷は何も無い。
 あるいはジョーカーに変異しかかる始の姿を天音が目撃する事だって共に生活する限りないとは言えない。それが、かつて自分を襲った異形の姿であると彼女は知っている。こだまする悲鳴、解き放たれたアンデッド。そして巻き起こる惨劇。ギャアアア。
 まぁ飛躍した話ではあるが、しかしこれはありうる未来だ。多分結構な確率で。

 薄れゆく自我の中で、二人のアンデッドは安らかな死=封印を求めるはずだ。だが、彼らが再び出会い、どれだけ戦いあったとしても、封印の石は現われない。勝者は決めるのに封印はしてくれない
 それが何年後のことかも分からない。彼らが真に死を望む時、仮面ライダーが健在かどうかも分からない。

 死ぬことも、封印されることもなく、本能のまま戦い、傷つけ、自我もなく、守るものもなく、ただ永遠という呪縛だけが二人を苛みつづける。

 それが、剣崎が自分の人生を捨ててまで守った未来だとしたら、あまりにも哀しすぎる。

 ジョーカーの封印、という結末は何故回避されたのだろう。始には惜しんでくれる人がいる。彼の不在が及ぼすストーリーがある。そういう存在こそが、逆にラストで舞台を去る者としてはふさわしい。
 実際に去った剣崎には、寂しいことにそれがない。劇場版に垣間見えるのは、一年間の物語において「アンデッド封印を目的とした共同体」以上の関係を築いていない剣崎たちの姿である。それは、彼が皆の前を去ってもその言葉通りの意味以上に惜しんでくれる人間がいないということだ。現にその後の4年間は、剣崎が人間でいたとしても、彼らにとって「剣崎のいない4年間」であることに変わりないんだもの。


 ・キャラ

 主人公である剣崎については、前述のとおりもう少し周囲との絆を深めて欲しかったところだ。また本人に関しても、趣味とか特技とか好きな食べ物とか休日の過ごし方とかそんな部分の掘り下げがほとんど皆無で、言動や行動とあいまって非常に薄っぺらい人間像だけが記憶に残る。
 敢えてタイトルにまで剣(ブレイド)と冠しているのに彼が剣術に長けているような描写も特になく、おまけに必殺技は恒例に倣いキックだったりして、とにかく中途半端な主役であった。

 対するカリスこと始は実に主人公のような活躍っぷり。人間(というか要するに天音だが)を守るためには何を置いても駆けつけ、また己の生まれを呪いながらもその宿命と最後まで戦い続けた。格好良かったねぇ。
 ただ、栗原母子へ執着を持つに至った経緯については説明不足だっただろうか。アンデッドである彼が「目覚めた」理由について、もうちょっと突っ込んで欲しかったように思う。

 細かいところでは、やはりもともとボードに所属してライダーのサポートをしていた栞が、ほとんどその役目を果たしていなかったのが勿体無い。わざわざボードからデータを持ち出しているのだから、戦闘経験の浅いブレイドに戦い方をレクチャーするような立場だったりすると、カードの特性やラウザーの機能なんかをより効果的に見せられたかなーと。
 その意味では烏丸の存在がかなり意味不明だったな。レンゲルの誕生に携わったり、アブゾーバーを造ったりと色々動いてはいたが、眠らされたり洗脳されたりチベットに行ったりしてほとんど顔を見せないという。終いには最終回でただ帰ってきて、これといって状況を打開するようなことも言わないし。ところで烏丸が研究しにいったボードストーンって、あのモノリスのこと?

 最後に橘。面白かったなこの人は。ライダーとしちゃ断然強いんだけど、人間的に弱い弱い。確固たる信念がありそうに見えて、もっともらしいことを横から言われるとすぐに信じてしまうという人の良さ。そして騙される。いい意味でも悪い意味でも、最後まで(4年後まで)ずーっと波乱を起こし続けた男でありました。


 ・総括

 最終的には物語自体が設定に振り回されたような印象がある。特に最終回の慌しさなんかを見るとまるで打ち切り作品みたいだし。
 謎は謎のままでもいい。ただその中で人間がどう考え、どう動くかってことにもうちょっと説得力や動機付けが欲しかったと思う。あとはラストが……。
 封印の石は無関係、みたいな流れが終盤にあったんだから、アンデッドを利用とする存在である天王路の野望を食い止めてめでたしってわけにはいかなかったかなぁ。うむう。心残り。


 ・追記

 2/1発売の宇宙船にスタッフインタビューが載っている。どうやらラストはかなりギリギリまで展開について揉めたらしい。ああそうか。そんな段階まで決まってなかったのか。
 じゃあしょうがねえや。